2011年 08月 26日
つれづれ、思うこと
例えば、某お笑いタレントさんが最近引退をされましたが、原因となることはともかくとして、テレビ局やスポンサーなどは、大変だろうなと思いました。
急にしかも、自分では何の後始末をせずに辞められたのでは、後々その世界で生きていく人には、迷惑至極といったところなのではないでしょうか。
当日の番組の差し替え、録画済みだった番組の始末。これからの番組のことなど、素人の私が考えただけでも、その大変さは想像がつきます。
私は、最終学校を出てから2回、正社員としての転職をしています。その時に思っていたのは、「辞めることは理由はともあれ、会社にとっては個人の我がままを聞き入れることなのだろうし、多かれ少なかれ迷惑をかけることは間違いないのだから、できるだけ、会社側の言うとおりにして辞めよう。」ということでした。
1回目の時も、2回目の時も、どちらも退職日は私の希望の日ではありませんでした。2回目の会社、つまり、幼稚園に入る前の時などは、引き継ぎに1年かけてくれと言われました。その通りにしました。
本当は、幼稚園に入る前の半年くらいは、勉強をしながら各地を旅してみたかったのですが、言うとおりに1年間かけて引き継ぎを行いました。
ビジネス上の付き合いでも、法的なものではない、当然とされるマナーというものが存在します。会社の大小や、肩書の上下があったとしても、最低限のマナーは守らなければならないと思っています。
嘘はつかない。できない約束はしない。やむを得ず約束を守れない時には謝罪する。しかも、それがわかった時点で速やかに。迷惑をかけたら謝る。力になってくれたらお礼を言う。・・・
こんなことは、組織の大小や、肩書・年齢の上下にかかわりなく、ビジネスマンとして、というより、人間として当たり前のことなのだろうと思っています。
人に迷惑をかける行為を私は「美学」だとは思いません。できるだけ人に迷惑をかけないようにのた打ち回るほうが、私にとっての「美学」です。
人を裏切らず、人に迷惑をかけないように尽くし、それでも迷惑をかけてしまったら、できるだけその迷惑が少なくなるようにして、謝罪し、感謝する。
書いていて馬鹿馬鹿しくなるほど当たり前のことだと思うのですが、世の中にはそれもできない、やらない人たちや組織があります。
人を裏切って、何らかの自分の利益を得たとしても、長い人生では、結局は裏切られた人のほうが得をするように世の中はできているような気がします。少なくても、私はそう信じています。
裏切られることで得をしたと思うようにしています。
説教がましい話になってしまい申し訳ありません。決して大それたことを言ったつもりはありません。偉そうなことでもないと思います。
ただ、当たり前のことだと思うのです。
ともべ幼稚園<笠間市(旧友部町)> 高野哲也